1982年、26歳にして大阪ミナミに誕生したディスコ「マハラジャ」をマネージメントした伝説の男が赤松範彦である。大人の社交場としてのスタイルをすでに持っていた「マハラジャ」は、業界の常識を覆すほどの成功を収め、翌年からは京都、熊本にも出店を開始。数年のうちに全国各地に40店舗の「マハラジャ」を展開し、一大ブームを巻き起こした。赤松範彦は、そのほとんどの運営に関わってきた傑物である。
赤松は、「マハラジャ」以前の伝説的なディスコで自ら遊び歩いた経験をもとに、優れた嗅覚と抜群のプロデュース力によって、一時代を築いた。どんな空間を作りどのようなサービスを提供するのか、そしてそこにどんな客が集まりどんな文化を生み出すのか。成功のすべては意図と必然で成り立っていたのだ。そこには赤松範彦の価値観が体現された濃密な空間が立ち現れていた。こうして、夜の遊びの世界に関わる者なら誰でもが知っている“伝説の男”が生まれたのである。
しかし赤松はそこに安住することはなかった。1989年、舞台はハワイに移る。「ハワイ・マハラジャ」のオープン、そして5年にわたる大成功。1995年には、巨大エンターテインメント企業エイベックスグループからヘッドハンティングを受け、六本木の巨大ディスコ「ヴェルファーレ」に迎えられ、総支配人、社長と上り詰める。そして、新たに一大ブームを巻き起こして、その伝説を書き換えていく。
マハラジャは80年90年代バブルの好景気をうけ、時代をリードする人々がこぞって来店しました。金融・証券・芸能・スポーツ・ファッションなど各界で活躍する人々が集い、時代を反映するカルチャーの発信地であったといえます。
ヴェルファーレでは日本最大級いえる店舗で、来店される方々にとっても、有益な異業種交流の空間を提供できたと自負いたしておりますし、また、私自身も様々な分野における方々との貴重な人脈を作る事が出来ました。
今後も今までの人脈と経験を生かし、経営者側はもとより、サービス業で培った受け手の側に立った視点(カスタマーサティスファクション)から、会社・組織のコンサルティング・投資活動・事業開発に携わっていきたいと思っております。